カテゴリ:スイス在住日本人のつぶやき( 8 )

「さば缶」をプレゼントする。「梅そうめん」もついでに!

スイス在住日本人のつぶやき(8)

咲さんからのメール。

チューリッヒ駅を朝8時に発ち、ジュネーブの二つの日本食店で買い物をしてから、一電車見送りジュネーブ駅のホームの端の誰もいないベンチで、その店から買ってきた揚げたばかりのコロッケや野菜料理を食べ、持参した温かいお茶を飲んだ。いい風があり、満足した。近くに集まったすずめにも少しやった。

車内では大抵、4つの向き合いシートを占領でき、キャスターに足を伸ばし、小説も読み終え、持ち込んだ新聞も隅々まで目を通すことが出来た。窓から見える湖も村も畑も山もいつものようだった。そして午後4時前には又チューリッヒ駅に着いた。

駅前で信号を待っていた知り合いの日本女性にばったり出会った。お互いに同時に「アッ!」と言って、それが当たり前のように「どこかでお茶のもう」と最短距離でよいカフェを選んだ。若い頃なら年いっぺんぐらい偶然にあっても立ち話で別れた。しかし、お互い高齢になると多少話の合わない者同士でも偶然を懐かしく思い会う。

T.「何、そんな重たいもの引っ張り歩いて」「何でそんな遠いところまで?」「ご苦労さんなこった。私しゃぜったいそんな事は嫌だね!「大体私しゃニ時間も座るの腰が持たないよ」

私・「だって私はスイスのフリー鉄道パス持ってるじゃない。キャスター付だから重たくないし、時間はあるし、景色は飽きないし、電車は快適だし、チューリッヒでは買えない魚缶があったのよ」

T.[ヘー。なんの缶詰め!これサバ味噌缶じゃないの。懐かしい。本当!くれるの?何?これ13フランもするの?信じられないな。」・・・・・価格表示がくっついたままだった・・・・

私・「3つしかなかったけど、さんまの蒲焼缶も見つけて買ってきたわよ。これは食欲ないともだちのお見舞いに。チューリッヒで買えなくなってから残念がっていたのよ彼女。正直言って日本にいた時だってこんな缶詰め貧乏学生の時しか食べなかったけど、蒲焼って結構おいしいものだなって今になって思うのよね。・・・・・・(サバ缶を取り出すとき「梅の味がする上等そうめん」をバッグから取り出したのが見えた。)

T.「今のその赤い色のそうめんみたいの何。変わった色に見えたけど?」

私・「梅干しの味がするソーメンよ。チューリッヒではこんなおしゃれなソーメンはないよね。じゃあ、半分上げようか」

T.「半分はバラバラになるから開けない方がいいけど、おいしそうだね。」

私・「じゃあ良いや。もうひとつ買ったからこれも上げるよ。その代わりここのお茶、おごってね」

T.「ホンと。ここの分は勿論私が引き受けるわよ。」と言った。・・・サバ缶とそうめん何度もひっくり返して読んではニヤニヤしてる表情は隠せない。

私・「そこの店の揚げたての、コロッケとメンチもおいしかったあ・・・春になったら又行くかもよ。」

T・「私しゃそこまでして日本食ほしいとは思わないな。ここで何でも買えるじゃないさ。納豆が買えればもう十分だ。ところで家のネコ・チャ子が死んだの知ってたっけ。」・・・・・・・それから彼女のネコの話を30分聞くことになる。私は30年も前彼女から子猫を貰ったのでネコの話はうなずくしかない。・・・・・・時を狙って・・・・

私・「ねえ、ところで今日は、インスペクター・バーナビーの日だね。(イギリスの刑事シリーズ)で景色、文化、皮肉が面白い)楽しみだな。 昨日はワレンダー刑事(スエーデン刑事シリーズ)だったけど、今でも見てるの?

T.「みてる。みてるよ勿論。繰り返しの古いシリーズでストーりーがわかっても退屈しないもんだね。カメラワークっていうの。あれは暗いし、残酷で怖いけどね。北欧の人って意外と繊細で、メランコリーな人が多いね。悩み深い、ノイローゼ的で、でも人間的には共感するものあるな。どっち道私しゃ海が見れるだけでもいいもの。でもドイツのタートオルト(事故現場)は、このごろ俳優がいつも同じ人で面白くなくなったと思うけど。どうお?」

私・「私はそんな事気にしない。大好きだな。ハンブルグ、ミュンヘン、ケルン、ウィすマー、ベルリン、ウィーン、やっぱりちがうし、街並み見てるだけだってまったく違うから面白いもの。」

・・・・・・・・Tと話が合ううのは、テレビの刑事物についてだけだとあらためて思った。

T.「じゃ、又、春になったら、OOデパートに出てくるとき電話するね。まあまあそんな重たいもの引っ張って。疲れるね。私しゃ嫌だね。でもありがと。じゃあね!」

・・・・・・・姿勢の正しい美しい彼女でも、歩くテンポも一段とゆっくりになり、歩幅も小さくなった感じだ。まあ彼女は5才年上だからそんなものかしらんと、少しの間後姿を追った。・・・・・・・・



咲 69才

(注)実際にはチューリッヒの日本食店や韓国食店で何でも買えるのだが、輸入ルートが違うジュネーブでは少し違うものがあり、種類も多いだけの話。生きのいいサバもいわしもイカも買えるのだから、缶詰なんか欲しい人は少ないだろう。咲さんのようにわざわざ買い出しに行くものは変わり者といえる。



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by swissnews | 2015-02-18 22:55 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

オリーブパン

スイス在住日本人のつぶやき ( 7 )

用事が終わってトラムに乗り込んだのが午前11時半頃だった。この時間になって気温が上がりだし、明るくなり半分ほど黄色い葉をつけた並木道の木木がまぶく輝きだしていた。家まで直通のトラムであったし、お昼ご飯は準備してあったが、このまま帰るにはもったいない良い陽気だった。

前の席に座り込んできた女性が長いマフラーを首に巻きなおしその端っこが私の目の前の椅子の背に垂れ下がった。季節初めののマフラーに新鮮な印象を受け、気のせいか私も首元が寒く感じられた。

この珍しい「鉄さび色で黒い小さな点が付いているマフラー」が、しかし、何かしら突然遠い思いをよびおこした。その内にその感触と匂いはっきり輪郭をなしてきて、懐かしい「黒のオリーブパン」味覚もよみがえってきた。

「まだあるだろうか。あのパン屋さんは」という思いが「知りたいな」という大きな好奇心に変わり、15年ほど前までは定期的に立ち寄った小さなパン屋に行くために、トラムを急いで乗り換えた。

このZ市は真ん中に流れる川を境に、西側は少し高地の文化的な伝統的な地区と、川の東側は平で少し前までは旧一般庶民の地区であったが今は、現代的な活気のある新しい地区になっている。

ほぼ15年前まで私の仕事場は西側の川から20mぐらいの高さの旧市街にあって、昼の12時前に終わる曜日があった。そんな日は解放感に誘われ、すぐにはバスに乗らず、込み入った細い旧道に入り込み、ギルド名残りの小さな店を覗きながら川まで降りていくことが多かった。

その一角にキオスク風のパン屋があり「黒いオリーブパン」が売っていた。こんがり暗い茶色に焼け、小さな黒オリーブが入っていた。普通のオリーブパンは緑色のいわゆるオリーブ色のパンであったからこの店のパンは珍しいといえた。

仕事場が川の東側に移り、用事のないとき意外は坂道を歩かないようになっていたが、一度思い浮かべると、どうしてもあのパンが食べたくなったのだ。

「まだきっとある」とか「もうなくなっているさ」とか自分自身に賭けるように言い聞かせながら、今日は、川の下から上に上がっていったのだったが、記憶をたどり、かなりの注意が必要だった。昔あった店が「やっぱり」という感じでなくなっていたし、多くの小さな店は新しい感覚でショーウィンドーも一新していた。2ストリートを間違いながらもそのパン屋を見つけた。

時間が早かったのか誰もいなく昔と同じ黒いオリーブパンが、トマト、きゅうり、チーズ、干し肉、サラミ、季節野菜いろいろ挟まっておいしそうにパックしてあった。

今はおじさんになってしまったが南国系のオーナーが顔を出して挨拶した。

「オリーブパンだけ、ピュアだけのパンはもう売ってないのですか」
「大丈夫だ。好きなだけきってあげますよ。」

といって、オーフンを開け、40cmx25cmぐらいで、厚さ3cmぐらいの茶色のオリーブパンを取り出し、「どれぐらいほしいの?」と聞きながらまな板に置いたようだった。

親指と人差し指を広げ「このぐらいの巾の半分お願いします。」といってそれを包んでもらい、昔のようにトマトサラダとギリシャチーズの入ったオリーブパンをひとつケースから取り出しお金を払った。

川のほうにゆっくり坂を下りながら、昔していたようにすぐオリーブパンだけを食べ始めた。昔のままの味がした。表面は良くこげているが硬くないし、中身はふかふかでどっちかと云うと湿り気があるほどで、時々黒オリーブが歯ごたえある。しかし立ち止まった。

「ちょっとしょっぱいな。昔もこんなのだったかしら」と考えてしまった。いろいろ考えながら、

「あの時はこのようなパンを一気に食べてもしょっぱいなどと感じなかった。それは、それだけ仕事をして塩分がほしかったのではないか。今の自分がやっぱり年を取ったということになるのだ。それしかない。」と、結論付けた。

それにしても、こんな陽気な昼下がりパンを食べながら歩く開放感がやっぱり好きだなと思ってしまう。昔、日本にいた時、フランス映画などを観てあこがれたことがはっきり思い出される。どこかのストリートをソフトクリームやリンゴなどまったく人目を気にせず食べながら散歩しているる光景だった。

いつもしていたように川の岸にあるベンチに腰掛けて、本格的に今度は「トマトとチーズのオリーブパン」を食べ始めたが、15年前のように全部食べるどころか、半分も食べられなかった。野菜があるためしょっぱさは気にならなくなった。残りを包み直しもって帰ることにした。それでも大いに満足した。

すぐ横に立っている半分赤く半分黄色く染まっている葉っぱが珍しい木の名前をいつも調べようと思っていたことが思いだされたが、今でも知らないままだ。

杏子  66歳





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by swissnews | 2014-10-05 18:39 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

L川とヌーディスト

スイス在住日本人のつぶやき 6

G市には地方に移り住んでからもよく訪ねてくる。ここは故郷のような街だ。

このG駅から電車でH市方面に帰える時、いつも右側の席に座る。L川が見えるからだ。30年以上も前に見た光景を、失敗だったなと思い出すことがあったが、もうそれは懐かしいあるいは、「切ない」ノスタルジックナ話になってしまった。今になっても窓側に座りL川の真ん中にしっかり根付いている緑の長い島を見たい気持ちがあることが分かる。

電車路線はこの川に沿って少しの間一緒に下る。その島の突端がまもなく見えてくる。それはまるで、電車との競争にあきらめて川の中に置き去りにされた緑の平らな船に見える。L川は、この島のために流れを二身に分けられ、離れ離れにならざるを得なかったが、この先端に来て、別離の運命から解放され、又、両側から手を結びあい再会を祝う姉妹のように大きな流れとして半島を包み込んでしまう。そして豊かな水の群れは歌うように悠々と下っていく。

私はいつもこの島の先端がどうなっているのか、そこに立って見極めてみたいみたいと思うようになっていた。日本にいた中学生頃からか地図を見るのが好きになり、陸地の最先端にときめく興味を覚えていた。根室の先端、稚内とかも行ってみた。

スイスは陸続きで海がない。しかし、小さな自然の突端は沢山ある。この離れ島のことを聞いてみるとその半島の突端の100メートルも手前には、野外の浴場があり夏は地元の人でにぎわうことを知った。

しかし実際にそのにそこに行ったのは、それから4年ぐらい後、子供も3歳か4歳になったときだったと思う。
暑い日だった。小さな橋を渡り島の野外浴場を通り過ぎた。手入れされた緑の芝にはさまざまの年代の男女子供がにぎわい、L川の一部を安全に仕切り浴場にしていた。泳ぎの達者な人はL川流れを楽しんでいるのか、濡れた体で川から這い上がってくる若者が見えた。自分もすぐにもこのつめたい水に体を浸したいという衝動を抑え、予定通り、先に島の先端を探検してからと,意を改め娘の手をグイグイ引いた。

浴場を通り越すと、自然道になり両側の草はもう手入れがされてないくかなり伸び放題になっていた。何か草の匂いに混ざり、動物的な匂いもうっすらと鼻につく。人の声は時々聞こえてきたがそれはピクニックでもしてるような自然な平和な声だった。先端までそんなに遠くないはずだ。しかしまだ見通しがきかない。

まったく突然、白い素っ裸のおじさんが横の草道から現れ、私を見てもあわてず、ゆっくり私の前を歩き出した。小太りのおじさんの白いお尻はこすれた跡が赤くなり、土も、数本の草もがくっついていた。歩くたびに右左とゆれる。その草がぽろっと落ちた。このヌードのおじさんは何か事情があるのかもしれない。ここはスイスだからそんな人だっているのだろう。私が驚いたりすると田舎者に思われる。

「大丈夫ですよ。おじさん、私はまったく気にしてません!」自分に無言で言い聞かせ歩調を緩めず付いて行った。

不意に又、草陰から、女性と男の子が現れ、男性の前とか後ろとかに並び短い親しい声を発し、一緒に歩き出した。かれらもまったく素っ裸だった。彼らは家族のようだったから、私は混乱した。

考えるまもなく、川の音が大きくはっきり聞こえ、見晴らしがよくなり、先端に出たことが分かった。

そこは草がなく土と石ころの狭い広場という感じだった。しかし、ぎょっとしたのは、そこに素っ裸の老若男女10人ほどと、犬が2匹いたことだ。体を三々五々にゆったり横たえ、仰向けになったり、座禅したり、本を読んでいたりする。平和な海水場に見られる普通の風景だ。違うのは、彼らが異常に白い体をした、裸の集団だったことだ。

私の前を歩いていた男女もごく普通に自分達の場所なのか、敷いてあった大きなタオルの上に座り、男の子はそのまま川の中に入った。彼らは皆、私と娘を一瞥したが、それだけで何も変化はなかった。

私は「ここが島の先端か!なるほど」というしぐさをし、なるべく遠くの景色を見渡すように感嘆した。少し伸びをしてから、裸の男女を自分の背中に隠すように、小さな娘を私の前に立たせて、「見てごらん。ここが端っこだ。」と屈みながら言った。そして、「じゃ、帰ろうか」といって、ゆっくり回り右をして、きた道を急いだ。

その日の海水浴のことはあまりおぼえてはいない。娘の顔や表情をはっきり見ていなかったことは後で気がついた。覚えているのは、しっかり抱きあい水に入り、心臓の鼓動を落ち着かすようにじっとしていたことだ。

その後、この湖や川に何箇所か「ヌーディストクラブの特区」というのがあり、市民は常識としてどこに在るか知っているらしいことが分かった。

電車から見える島の突端からは、あの場所は隠れて見えない。今でも夏になるとあの白い裸の集団が涼みにやってくるのだろうか。

考えてみると、彼らは良い場所を見つけたものだ。当時はまだヌーディスト達の苦悩もあり、秘密めいて何か感傷的になり同情する気持ちあったが、現在はあまりにも健康的で、あっけらかんとしている。きっとそばを通り過ぎてもなんとも感じないだろう。  

サキ  57 歳




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by swissnews | 2014-06-09 19:31 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

私の夫は神童の声の持ち主だった

スイス在住日本人のつぶやき 5

心なしか頬を赤くして歌っている夫の姿を見て、意外だったアマチアコーラスの本格性にびっくりさせられ感動し、大きく動揺した。一曲目の最初の出だしからの寒気すら感じこみ上げるものがあったが、私はこの現代的な教会のホールの観客席で一番前の席の真ん中に陣取り見ていたので、なんとしても涙をこらえなければならなかった。

この区の市民男女中高齢者の多いのコーラスを聞いていても、夫のテノールの優しい細い声ははっきり識別が出来る。それに予想以上に力強く、響きがある。家ではこのように歌うことは、少なくとも私の前ではなかったからなのかもしてない。

発表会には正直言ってはじめて聞きに来た。もう8年近くもこの区のコーラスに通い歌い続けてきた夫の趣味を、私はなんと冷たいたくあしらってきた事か。単なるアマチィアと侮っていた。軽く見ていた。一度だって「どんな曲を歌うの?」とかも聴いてあげなかった。「いつか聞いてみたいわ」とかも励ましたことが無い。数年前のコンサートのときは日本にいた。帰ってきてからも、「発表会はうまく行ったの?」とも聞かず、自分の日本滞在の興奮をまくし立てただけだった。なんと言う思いやりのない妻なのか。

その後悔の思いと同時に、難しい歌詞を神々しく歌っている彼とコーラスの迫力に圧倒され、「あの真ん中で歌っているのは私の夫なのよ」と、皆に伝えたい大きな誇りが全身を支配してきた。

16年前、ふらりと日本に来た彼と知り合い、数年日本で暮らし結婚した。スイスで就職する為に帰ることになった彼に、一人娘として結構裕福に自由に育った私は、「そんなに言うならスイスの田舎にでも行ってやるか。でも気に入らなかったら日本に帰ってくるかもよ!」などと脅かし甘えてここへ来た。

彼は中学の地理と英語の先生になり真面目な規則正しい生活をしていて、申し分の無い夫だった。子供は出来なかったが同じような半分日本人夫婦家族と知り合い、よんだりよばれたり、毎年、日本から来た友達の世話や里帰りで時間はすぐ過ぎて行った。小さなボランティアや知人との付き合いしかあまり才能が無く、それでも器用なので、最近帽子手作りのスイス人女性を補助して時々は自分のアイディアも助言できるようになっていた。

彼がコーラスに行く日は、学校から直接行くので、私にとっては「夫が遅く帰ってくる曜日」以外の違いは無く、自分にとっては息抜きの数時間になった。台所から公園を通って帰ってくる彼の姿を3階のアパートから見ることが出来、それを見てから味噌汁に火を通すことが多かった。

ある時そんな時間になり、外を見るいると、彼が同じ年頃の男性と立ち話をしているのが見えた。初めて見た人だったが、彼は実に熱心に、身ぶり手振りで楽しそうに話しているではないか。このように生き生きとして話をしている姿は私との会話ではない。やはり彼は生まれ育った地元のスイス語で話し相手がほしいのかなと、軽い嫉妬の気持ちがわいてきた。

「新しいラテン語の歌詞について話していたのさ」と彼は説明してくれた。「あの人が、こんな近くに住んでいるとは知らなかった。ほら次の通りに住んでいるんだって。」

それから時々、一人でハミングしてる時が多くなった。パンにバターなど付けながらだとかだ。「何か嬉しいことあったの?」とか聞くと「ハテ、何が嬉しかったのかな?」とか考え込んでやめてしまう。それほど真剣なハミングだったのかもしれない。

夫はスイス人のこの町で育った。だから社会的な問題は無いはずだ。男なんだしここの生活は普通のことだ。私のようなはるばる海を越えて来た妻は大事にされ、何でも教えられて、守られるのが当然だ。そしてその通り彼は私を励まし、慰め、経済的なものも一切仕切ってくれ、年一度は日本に帰る援助もしてくれた。

しかし、コーラスを聴きながらこの短い時間に、私の頭の中で練り上げた密な思考は、自分が正に一挙に遅まきながら大人になり賢者になったような認識に至った。もしかしたら髪の毛が、真っ白になってしまったのではないか。

私の夫はこの地元生まれでも、ここで生きていくことは初体験であり、何でも苦労せずに問題なく年をとっていくことはないのだ。私だけが他国から来て苦労をして慰められるべき存在だと決め付けてきた考えはまったく幼稚でナンセンスだった。恥ずかしいことだった。

夫には夫の好きなこといろいろあるのだ。同僚や生徒の間にも私に知らせてくれる以上の問題と向き合っているに違いない。私が無知だから全部話してくれないのかもしれない。それは少しずつ探っていこう。

これから自分は甘えていられない。そうだ。帽子を作ることをもっと専門に習おう。そして自活しよう。日本に里帰りするのは私の問題なのだからそれぐらいのお金は自分で何とかしなければ。もし将来日本に帰ることが出来なければそれはそれで仕方がない。私は、ここに嫁入りしたんだから。

夫の趣味やコーラスの歌詞なんかももっと興味を持って聞いてあげよう。

そうだ。彼と並んで真面目そうに歌っている近くに住むという男性家族を、一度招待しよう。彼と気が合うなら人の家族ならきっと楽しいだろう。

発表会が終わった時、この希望的なアイディアが、涙をグッとこらえさせてくれた。

それぞれの家族が「ブラボー」と叫んで拍手している。私も叫んでみた。手が痛くなるほど拍手もした。


希英  37歳




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by swissnews | 2014-05-25 15:28 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

ポンド紙幣とハンサム黒人男性

スイス在住日本人のつぶやき 4

引き出し整理は苦手な仕事だ。古いお財布が何種類かあって、円やユーロ、英国のポンドの紙幣とコインをそれぞれ分けて入れてある。

久しぶりに英国に行く事になりポンド財布を探し出した。このポンドには苦い思い出がある。

もう15年も前か、あるいはもっと前になるか。ロンドン経由で日本から帰ったときに待ち時間が延長され、どうしても何か食べたくなり、スイスフランをポンドに換えることにした。

その飛行場の「チェンジ」と書かれた入り口は狭かった。

自動ドアが開き、一足踏み入れると、すぐ入り口の窓口の中から黒人の若い男性が、きちんとしたネクタイ姿でニコニコして迎えてくれた。一瞬びっくりした。彼はハツとするほどハンサムだった。若いときのハリー・ベラホンテと一瞬思ったほどだ。しかし私の足は少しもつれながら奥のもうひとつの窓口に進み、金髪で骨ぼったい顔をした中年の女性の前に立っていた。

室内は別世界のように静かで、お客も私だけだった。

「ユウ・ドント・ライク・ミ・ドント・ユウ?」(あなたは僕が嫌いなのだろう。そうでしょう?)とその黒人は顔を窓口から突き出すようにしながら私に問いかけた。本当に問うという真剣さより、退屈でからかったのかとも受けとれそうだったが、その時、私の視力はちょっと落ちかけてたのにメガネなしで過ごしていたため、彼の表情や目の真剣さはつかめなかった。

それに私はスイスに住んでいても、外国人で、英国の地元の言葉のニュアンスも判断できなかったかったからすっかり動揺した。

換金がすむまで私はゆっくり「落ち着け」といいながらも困った。彼の問いに答えるべきではないかと思ったのだった。

「ソーリー・アイ・アム・ア・フェミニスト。アイ・プリファー・ア・ウーマン」
(すみませんね。私はフェミニストよ。女性を優先するのよ)

普段は英語を使ってないし、その英語が正しかったかどうかも分からない。しかし私はかなり自信たっぷりに言ったもんだ。

そういって注意深く私の言うことを聞いていたその美しい黒人の反応も見ず、しっかりした足取りを作り、彼の前を通り過ぎ、目をつけていたレストランに急いだ。

今でもその時の自分の行動心理が分からない。

「私は無意識でも、民族差別していたのだろうか。彼の仕事に不審を抱いたのだろうか。いや、私は何でも奥の場所のほうが落ち着き、好きだから、ただ習慣として足が向いただけだ。いや、彼はあまりにも若く、美しかったから気恥ずかしかっただけだ。」とかいろいろ考える。「いずれにせよ、彼は一瞬戸惑った私の表情に、何かを感じたに違いない」
「もしかしたら、黒人を見慣れないアジア人のなかには私と同じように反応した人もいたのかもしれない。海外に住み、黒人を見慣れている私だって一瞬びっくりしたのだから、日本人なんか、はっきり動揺を示したのではないだろうか。そんなアジア人を毎回見せ付けられていたなら、お客が自分を避けていると考えるのは仕方が無い」

「彼はきっとそんなお客にいつも「僕が嫌いなのだろう!」と自虐的に聞いていたのではないだろうか。」

何か考えてみればかわいそうなことだなと思った。

私のとっさで、変な英語返答に対する彼の反応や表情を見て置く勇気がなかったのが残念だったなと今では思う。

「もし彼が奥の窓口にいたら、もしかしたら私は彼のところに行っていたかもしれない」

今度はたった3日のロンドン旅行にくっついていくだけだが、このポンド紙幣を忘れないように使ってしまおう。あの美しい黒人成年はまさかあの「両替」にまだいるわけは無いだろうが、と一瞬考えた。

エリ子  57歳



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by swissnews | 2014-04-25 01:03 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

早く来過ぎた春・4時間の尾根歩きになった。

スイス在住人のつぶやき 3

Z市は一方が湖に、他の3方は、低い山に囲まれている。市民はそれぞれの山を散歩道として親しんでいる。私は、市のシンボルである870mのU山の麓に住み、自分の家から10分もバスに乗れば登山口に着き、450m登れば展望台にたどりつける。

1時間10分の表示がある登りを、50分で登りきったこともあり40分で走るように下りてきたこともある。でもそれはもう15年以上も前の話になる。数年前からは、時間も出来たし、定期も買ったので、日陰が多いこの山道を登るより、登山電車で上がり、1時間45分と表示のある高低の差が少ない見晴らしの良い尾根を歩き、隣の町のロープウェイFで降りて来るコースを散歩道として、年20回ぐらいを目標に歩くことにしている。

行こうと決めた日は怠け心が起きないうちに早くから、残り物をパックしてリュックサックにつめ、靴を履き、昼のテレビニュースを聞き終わったらすぐ出かけることにしている。この尾根散歩コースは数箇所両谷右左に降りる急な下り道があるが、私の膝はもうこの下りを受け入れないのでどんな事があってもそのロープウェイFまで行かなくては帰ってこれない。

今年は桜も3週間も早く咲き始め、温かくなり多少の花粉症も我慢して、早めに始める決心をした初遠足だった。電車を降りると少し登りになるが、天気は最高で、桜のピンクや白や黄色の小花を付けた木々が緑の中に見え、やっぱり来て良かったなと嬉しくなる。鳥も嬉々としてうるさいほどで、気持ちの良い軽い出発だった。

ほとんどの客が左の展望台と大きなレストランの道に分かれていった。尾根歩きコースを選んだ人は意外と少なく、時々前後に誰も見えないときもあったからこの上天気なのに少し意外に思った。しかし、すべてが記憶どうりの道で景色も変わらず休憩展望台を見定めて早いピッチでFが近くなった。その時私を追い越していった犬と一緒の女性や、高齢なおじいさんが引き返してきた。珍しいことで、こんな軽装でも引き返す体力があり偉い偉いと思った。

Fのステーションの小屋には誰もいず、電子の発車の時間はチカチカと掲示してありいつものように15分間隔で正確だったが、ロープウェイは来ていなかった。少しおかしいなとは思ったが、5分下にある山のレストランに行くことにした。そこのりんごパイでも食べ、年の初めの尾根歩きを自分で祝おうと思ったのだ。そのレストランには、反対側の村から車でも上がってこられ子供の遊び場もある。今日もZ湖やアルプスがクッキリと見渡せた。庭では、温かい日当たりの良い一角に席を取り6,7人お客がすでにいた。私は、パイを食べ、地方新聞を読み40分ほどで腰を上げた。

又、Fステーションに戻って下から見上げると、なんと、入り口に立ち看板があり、「REVISION」「定期検査の為OOまで運行休止」と書いてあったのだ。さっきは少し高い位置に書いてあったから看板を読まずすらりとステーションの中に入り込んでいったのだった。

午後4時半になっていた。ロープウェイのある急な下りを30分で下るか、引き返すか決心しなくてはならない。急げば、6時までにU電車乗り場まで行けるし、まだまだ明るい。すぐ決心してすぐ歩き出した。いつもの下り道は登り道になる。景色も少し違いいろいろ発見もあったが、冬の間3か月も運動してなかった私の腰や、足、ふくらはぎは、30分もしない内に悲鳴を上げ始めた。

それより人に会わないのだ。男か女か分からないバイカーが何人かものすごいスピードで通り過ぎて行っただけだった。急に恐怖感が沸いてきた。携帯は持ってこなかった。だからなお更急がなくてはならない。
いろいろな小説に描かれた、登山時の過酷な自然との葛藤、孤独の恐怖の描写が思い出された。四国の深い山に上る少女、数々のアルプス登山の話、アルジェリアの砂漠洞窟探検など、次から次と浮かんできたが、作家の名が不正確で思い出せない。私の状況はしかし、あまりにのどかな明るい午後5時半で、Z湖がすぐ下に見える郊外の散歩道ともいえる。熊が現れる訳でなし、何も危険は無いと自分に言い聞かせる。

帰ったらすぐ熱いお風呂に入ろう。もう待てないほどだ。死海の塩を入れようか。ハーブの油が良いか、もう一袋残っているはずの日本の温泉粉末にしようかと考えた。その後、体中の筋肉痛のためには、日本製サロンパスの大きいサイズか、小さいサイズがいいか、この際もったいないなどと考えていられない。全部使ってしまおうか。それともスイス製の冷たい大きなシップがいいかなどと細かいことも考えはじめた。

私のふくらはぎはもうカチンカチンになって、曲げることを拒んだが、これから最後の登りと、電車までの下りがある。10mごとに立ち止まり何とかあえぎあえぎ、U展望台の分岐点まで帰ってきた。木々の間から若い女性の話し声が聞こえ始め、人間恋しだった気持ちが一気に安堵に変わった。私はのろのろと彼らに合流した。次から次と大人や子供も集まってきた。

6時半近くになっていた。ちょうど入ってきたU電車に乗り込み、何とか体を折り曲げ座席に腰かけた。発車まで、ぼんやりして外を見ると、「FロープウェイはREVISION」と大きく書いてある立て看板が目に付いた。

後で聞いた話だが、イースターの前は検査の為運行しないことが慣習らしい。子供にはなぜインターネットで確かめてから行かないのだと叱られた。今年は特別早く春になった精で、調子にのって飛び出してしまったったが、その分だけ20回の尾根歩きは今年も大丈夫だろう。筋肉痛も3日で完全に治ってしまったので、来週から又行ってみることにする。

のぶ  71歳




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by swissnews | 2014-04-20 18:32 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

春のコートと忘れ物

スイス在住日本人のつぶやき 2

又、この春のコートを引っ掛け外に出る季節になった。

スイスの高級ブランド製品であり、かなりおだてられて買った大事なコートだ。薄地で軽く、防風にも、防雨にもなり、旅行にも必ずもって行く。もう8年も重宝していることになる。どんなにクシャクシャにしても平気で持ち歩きができ、着ると一風変わったおしゃれなコートにもなる。

その代わり、忘れてくることも私の年令とともに増えた。何度も今度こそは戻ってこないとあきらめたことも思い出される。だから、今でも手元にあると言う幸せ感を味わうことになる。

トラムに乗ってから、大きなポケットの中を確かめると、クシャクシャな使い終わった鼻紙や、ぼんぼんの包み紙が出てきた。まあそれは私のものならばどんなコートやヤッケからも見つかるものだから普通の事だ。

この手がすっぽり入る大きなポケットの中に更に小さい仕切りがあってそこに何か硬い紙のようなものが手に触れた。ぼんやり思い出すことがあったがすぐには何かとは確信が持てなかった。指でつまんでその厚紙の紙片を引き出すと、太字で書いた自分のイニシャルと電話番号で、持ち主として連絡望むと英語で書いてあった。私の字に違いなかった。すぐに思い出したことがあった。

それはこのコートを買ってからすぐの頃だ。やはり今日のようなうららかな日で、湖畔の船着場からセルバラソーセージの焼く匂いがしてきた。急にしょっぱいものが食べたくなり、ジュースとソーセージを買い、旅行者や地元の若者で埋まっている岸辺に、押し入るように場所を見つけ座り込み、手に持っていたコートは横に置いた。

観光船は、春になると急に増える。回りの丘にも、梅、こぶし、桜、が咲き始め、その他あらゆる緑の木々も自分の美しい姿を誇る時を順番よく待っている。

普段、娘達にソーセージなんか不健康よ!とか言われていたからめったに食べられない。だから秘密で食べる嬉しさもあり、スイスの誇るセルバラソーセージをあっという間に食べてしまった。紙などをゴミ箱に捨ててから、トラムに乗り込んだ。その内に空は明るいのに雨が降ってきてトラムの窓を結構、激しくたたきだした。

「やっぱりコートを持って出かけたのは正解だった」とニヤリとして自分の右手を見て青くなった。コートの代わりに、しっかり握っていたのは、ほんの一口しか残っていないジュースのプラスチックびんだけだった。

決断は早く、すぐ乗り換え、雨の中を戻ったが、そこにはもう誰もいなく、コートも無かった。船着場の観光事務所に聞いたが、雨のためものすごい取り込みようで「そんなものはまだ届いていない」と言うだけだった。「自分が悪い・仕方がない」と言う後悔だけが残った。

3,4日ぐらいたったころか、観光事務所から電話が来た。コートはどんな色でどんな大きさでとかいろいろ質問されてから、それなら届いているといった。信じられないことではあったがすぐ出かけて言った。

紛れもない私のコートで、そこには、小さなよれよれの領収書が、ピンで留めてあった。トルコ人修理屋さんの物で連絡先に私の電話番号が書いてあった。それをポケットに突っ込んだままにしてあったのだ。コートを受け取った係員はいなかったので何も聞き出せなかった。

あの時、隣にいた人だってまったく記憶には無い。勝手に「人情ストーリー」を想像するしかない。

きっと雨が降ってきても持ち主の無いコートを見つけた若い男性が、それを被って雨をしのぎ帰ったのではないか。そして恋人にあげた。その恋人が着てみたが、サイズが合わない。ポケットの領収書を見つけて、電話番号は分かっても直接電話する勇気が無く、彼氏にコートを見つけた場所を聞きだし、返しに来たのではないかなと想像した。

その夜、私は内ポケットにこのメッセージを書くアイディアが浮かび、早速実行した事を思い出した。それを自分でも今まですっかり忘れていたのだ。

その後、コートを今日まで何度か、カフェーや映画館に忘れてきたが、ポケットのメッセージが役にたった事は無かった。

稲代  61歳


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by swissnews | 2014-04-04 00:14 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

ファイアアーベント(仕事じまい)

スイス在住日本人のつぶやき。1

市内を流れる川の東側にある高台のこの森にはあまり来た事がない。ここにもそんなに大きくなくても市の病院があり、
15
年も前に、このバスで見舞いに来た事があった。きっと夏だったのだろうと思い出していた。その時は緑の木の葉がびっしりで、バスの坂道からは湖や市内が見渡せなかった。

今日は、12月の年越しの少し前で親戚の者が手術する前に朝早く見舞いにやってきた。森の木々はすっかり葉を落とし、細く頼りなくなった木々の間から、なんと市内のビルや古い建物の根屋が見渡せ、ところどころに煙突から吐き出すノスタルジックな煙なんかも見えた。湖も朝もやの中に光っていて、自分がこの街に住んでいることが何か不思議に思えてきた。

帰りのバス停で、私の他に、黒人、東邦人、アジア人の年齢さまざまな女性が4人かたまって待っていた。バスの扉が閉まり発車する直前、誰かが何か叫んでバスのボタンを押した。3人の外国人女性たちが面白いほど違った走り方をして、病院の出口から息を切らしバスに乗り込んできた。皆いい成人で、むしろおばさん達だが、女子学生のように笑いあった。

彼女達は明らかにファイアアーベントの嬉々とした開放感を持っていた。朝早いのに仕事は終わったのだ。きっと掃除婦なのだろう。

私の隣の座席に大きなお尻を押し込んできた35歳ぐらいの黒人女性は、私には背を向けたまま、反対側のに座り込んだ他の黒人女性とひきりなしに話していた。同じ黒人でも、民族により体型がまったく違う。

彼女のようにお尻も、胸もモリモリと大きな人、長い細い手足をした背の高い黒人など、近くに来るとつい見とれてしまう。彼女のチリチリな髪の毛は、見ほれるほど上手に何十の線をなし複雑に三つ編みに結われていた。スキー用のヤッケに細いズボン、その上に夏物のペラペラなスカートをはいている。アフリカ人の布模様は非常に芸術的でモダンだ。私にはしかし真冬に着るこのスカートは寒々として映るのだが、彼女は故郷のスカートを意識的に一年中身につけているのかもしれない。

何語かは分からないが時々スイスドイツ語が聞こえた。後から乗り込んできた白髪の混じった黒髪のポルトガルかスペイン人女性もすぐひそひそおしゃべり始めた。ほっぺたの肉が少ない小さな顔をした二人は、姉妹かもしれないと思ったほど似ていた。

私の後ろには目の丸い色白の美人ポーランド女性が携帯を取り出し話し始めたが、目は黒人達の同僚とコンタクトを取っている。一番大人しそうなのが、まだ20代のベトナム人女性だが、孤立してはいないようだ。

この女性達は、何時間働いてきたのだろうか。こんなに和やかで、まだ笑顔の保てるファイアアベントなら、きっと朝一番のバスで来て3時間ぐらいしか仕事をしていなかったのか。あるいは昨夜遅くからいるのかと考えてしまった。

ここは市の病院だから、彼女達は正式に労働許可を得ているはずだ。スイスに着たばかりの人だっているだろう。しかし、何という奇妙な多民族の同僚集団だろうか。言葉が不自由なのに、団結・仲良しの雰囲気はある。これから長い一日が始まり、母親として、妻としての一日も待っているだろうか。「仕事じまい」でこれぐらい元気な女性たちなら、なんでもやっていけそうだ。

皆、次々と、恥ずかしいほど大きな声で「良い一日を!」と声をかけながら下車して行った。それは私もここに住み着いた当初、スイス地元の人たちと同じ仲間になったことを証明するために、誇り高く覚えた挨拶の言葉だった。

珠子55

 


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by swissnews | 2014-01-03 02:30 | スイス在住日本人のつぶやき | Comments(0)

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