教育の格差をなくすということが、教育の多様性を規制することにならないようにと願いながら。
教育の格差というテーマで、親の収入に応じた教育はやむを得ないと考えるか、すべての子供は均等な教育チャンスを持つべきか、という選択をあえてしなければならないとすれば、私は後者を選ぶだろう。日本は先進国なのだし経済力からして当然だろうと思うからだ。
しかし、日本で言う教育の場で「格差がない」という意味と、欧州で考える「格差がない」ということと意味合いが少し違うように感じる。日本では何か、皆、均一した同じ内容を学ぶチャンスを得る公平さのことを「格差がない」というのかもしれない。
欧州の場合は、皆それぞれ違った自分の好きな道を選ぶ多様性のある教育をうけるチャンスの公平さのことを言う。
私が毎回里帰りするたびに驚くことがある。ある女友達の娘さんKの成長の事だ。友達は優秀で女子大を卒業したがすぐ結婚し専業主婦になり、一人娘Kの教育に集中した。塾に通わせ、偏差値に一喜一憂し、見事に国立大学にパスさせた。卒業したら後進国の農業援助をしたいと行って海外のことを聞いてきたので喜んでいた。しかし彼女も卒業後すぐ結婚し、子供が二人できそのまま主婦専業になった。
最近里帰りしたとき、Kの子供が小学校3年になり、進学に伴い学用品を一式新しい物に買い換えるので、おばあちゃんである私の友達と買い物に付き合った。まだ使える物でも全部取り替えクラスメートと同じものでなければ「格差」になり、いじめられるというのだ。引け目も負うと言うのだ。
「差別されれたくない」という思いから、他の生徒と同じように足並みをそろえることが「格差のない教育」ということなのだろうか。皆が「熟」へ行くのに自分はいけないということは、将来人格的にも格差が出来ると考えるのだろうか。
古い女友達の高い学歴も、娘さんKの素晴らしい能力も、直接社会に還元できなきったこと日本のために残念に思うが、教育は「個人のもの」で「社会のもの」ではないのかもしれない。それはそれでよい。
しかしそうすると、貧乏で高校にもいけなかった子供は少しかわいそうにもなる。
スイスでは、外国人が多いことは何度も書いた。チューリッヒは30%以上にもなる。その外国人の子供も当然同じ教育のチャンスがある。
自分の子供の小学校入学の日のことが今でも思い出される。私は子供にスイス伝統の牛の皮で出来たランドセルを買った。どの親も喜びは同じだで感激していた。当時、ユーゴスラビアからの難民がたくさんいて、そんな子供の一人がいた。兄弟のお古を来て、おばあちゃんの民族花柄の布袋を大事そうに持っていた。それがランドセルの代わりだった。黒人の子供もいた。
27人の子供の10人ぐらいは違う母国語を話した。ドイツ語の不足は補修時間で補った。(誤解がないように言うが、チューリッヒには外国人がほとんどいない伝統的教育の高い地区もある。)
子供たちの格差はだからはじめからあった。しかしお互いに顔を見合い、差を一瞥して、認容した。結局こちらではそれぞれの差を長点として教育していく以外にない。
こちらで最近問題になっている教育の場の格差は、宗教的な違いをどれほど考慮していくかということだ。例えば、イスラム教徒の子供は水泳授業のとき、見学したり、スカーフや長い服を着てプールに入りたいとか、男女一緒はダメ、独自の着替え室がいるとか要求が多い。
宗教的な生徒の人格を尊重するほうが大事か、中学まではスイスの慣習に順応する必要があり、他の子と同じ条件で水泳授業を受けるという社会性を尊重し、格差をなくす事が良いか。それが問題なのだ。
それ以外では、スイスでは(多くの欧州国も)教育費が最低第一職業教育まで無料である。それに、日本のように皆が高校や大学に行くわけではない。中学卒で、ケーキ職人、時計師、美容士など3から5年の専門職業訓練を受ける。その多くは、直接個人企業などで教育費も出してくれる。試験もある。商業専門学校に行く子供も多い。そして会社事務員になる。
大学に行くという事は、自分にとっても社会にとっても非常に責任のあることである。修士、学士、各種専門大学の卒業生は、スイス全体で40%にも満たない。しかし厳しい。最近女性が半数近くを占めるようになったと聞いた。
大学で学んだ事を職業にすることは当然と考えるようだ。もし、それをしないなら、数少ない大学の席を他の若者に譲ったほうが良かったというモラル的な思考もでてくる。
将来、社会をリードしていく創造的知識人の必要性は少なくなるであろう。
ますます、具体的で多様性のある、つまり、ナンバーワンを競うのではなく、皆、オンリーワンの育つ教育システムがあれば、格差などという議論もなくなるのではないかと思う。
チューリッヒ フミ
しかし、日本で言う教育の場で「格差がない」という意味と、欧州で考える「格差がない」ということと意味合いが少し違うように感じる。日本では何か、皆、均一した同じ内容を学ぶチャンスを得る公平さのことを「格差がない」というのかもしれない。
欧州の場合は、皆それぞれ違った自分の好きな道を選ぶ多様性のある教育をうけるチャンスの公平さのことを言う。
私が毎回里帰りするたびに驚くことがある。ある女友達の娘さんKの成長の事だ。友達は優秀で女子大を卒業したがすぐ結婚し専業主婦になり、一人娘Kの教育に集中した。塾に通わせ、偏差値に一喜一憂し、見事に国立大学にパスさせた。卒業したら後進国の農業援助をしたいと行って海外のことを聞いてきたので喜んでいた。しかし彼女も卒業後すぐ結婚し、子供が二人できそのまま主婦専業になった。
最近里帰りしたとき、Kの子供が小学校3年になり、進学に伴い学用品を一式新しい物に買い換えるので、おばあちゃんである私の友達と買い物に付き合った。まだ使える物でも全部取り替えクラスメートと同じものでなければ「格差」になり、いじめられるというのだ。引け目も負うと言うのだ。
「差別されれたくない」という思いから、他の生徒と同じように足並みをそろえることが「格差のない教育」ということなのだろうか。皆が「熟」へ行くのに自分はいけないということは、将来人格的にも格差が出来ると考えるのだろうか。
古い女友達の高い学歴も、娘さんKの素晴らしい能力も、直接社会に還元できなきったこと日本のために残念に思うが、教育は「個人のもの」で「社会のもの」ではないのかもしれない。それはそれでよい。
しかしそうすると、貧乏で高校にもいけなかった子供は少しかわいそうにもなる。
スイスでは、外国人が多いことは何度も書いた。チューリッヒは30%以上にもなる。その外国人の子供も当然同じ教育のチャンスがある。
自分の子供の小学校入学の日のことが今でも思い出される。私は子供にスイス伝統の牛の皮で出来たランドセルを買った。どの親も喜びは同じだで感激していた。当時、ユーゴスラビアからの難民がたくさんいて、そんな子供の一人がいた。兄弟のお古を来て、おばあちゃんの民族花柄の布袋を大事そうに持っていた。それがランドセルの代わりだった。黒人の子供もいた。
27人の子供の10人ぐらいは違う母国語を話した。ドイツ語の不足は補修時間で補った。(誤解がないように言うが、チューリッヒには外国人がほとんどいない伝統的教育の高い地区もある。)
子供たちの格差はだからはじめからあった。しかしお互いに顔を見合い、差を一瞥して、認容した。結局こちらではそれぞれの差を長点として教育していく以外にない。
こちらで最近問題になっている教育の場の格差は、宗教的な違いをどれほど考慮していくかということだ。例えば、イスラム教徒の子供は水泳授業のとき、見学したり、スカーフや長い服を着てプールに入りたいとか、男女一緒はダメ、独自の着替え室がいるとか要求が多い。
宗教的な生徒の人格を尊重するほうが大事か、中学まではスイスの慣習に順応する必要があり、他の子と同じ条件で水泳授業を受けるという社会性を尊重し、格差をなくす事が良いか。それが問題なのだ。
それ以外では、スイスでは(多くの欧州国も)教育費が最低第一職業教育まで無料である。それに、日本のように皆が高校や大学に行くわけではない。中学卒で、ケーキ職人、時計師、美容士など3から5年の専門職業訓練を受ける。その多くは、直接個人企業などで教育費も出してくれる。試験もある。商業専門学校に行く子供も多い。そして会社事務員になる。
大学に行くという事は、自分にとっても社会にとっても非常に責任のあることである。修士、学士、各種専門大学の卒業生は、スイス全体で40%にも満たない。しかし厳しい。最近女性が半数近くを占めるようになったと聞いた。
大学で学んだ事を職業にすることは当然と考えるようだ。もし、それをしないなら、数少ない大学の席を他の若者に譲ったほうが良かったというモラル的な思考もでてくる。
将来、社会をリードしていく創造的知識人の必要性は少なくなるであろう。
ますます、具体的で多様性のある、つまり、ナンバーワンを競うのではなく、皆、オンリーワンの育つ教育システムがあれば、格差などという議論もなくなるのではないかと思う。
チューリッヒ フミ
by swissnews
| 2013-05-21 05:37
| 教育・宗教・人材
|
Comments(2)
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by
hirokoshuto
at 2013-05-21 14:42
x
4年ほど前に新刊「片道だけのパスポート」を東京の図書館で見つけ1日で惹きつけられるように読んだ。今、スイス人と結婚した私の娘(ダンサー)のお産の手伝いにベルンに来ていて、この本の著者に先日、日本バザーで会えて感激した。再読してさらにうなった。すごい人だ!このブログを再発見してまたまた見識の深さに敬服した。私は東京の公立教員を定年退職して数年目、この欄の教育の真の多様性に共感します。学力とは?学歴とは?考えさせられます。それにしてもフミさまは「片道」ならぬ世界中につながる社会や文化芸術教育パスポートをお持ちのようです。
偶然出会った幸運にまだ興奮している読者より
偶然出会った幸運にまだ興奮している読者より
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by
swissnews at 2013-05-22 06:31
hirokoshuto様、このような嬉しいcomplimentは、ブローガーにとっては最高です。どうもありがとうございました。まったくの偶然でした。娘さんとお孫さんを訪問されたベルン(スイス)での滞在を満喫なさってください。日本にいてもたまには回れ右して海の外に住む者に耳を傾けてくださる方が増えてくれればさらに嬉しい事です。扶美
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