謹賀新年・「違い」は「面白い」と考えるとなお「面白く」なる。
新年開けましておめでとうございます。
皆さま、楽しい年越しをして今頃は家族で、お雑煮も食べ終わった頃でしょうか。
数年前、ある日本人6,7人が集まって、それぞれの郷土自慢の「お雑煮」を作る新年会に招待されたことがある。
北海道から九州それぞれまったく違うものだった。
「おしょうゆの色がまったくない、白い汁なんか、これほんとに「お雑煮」なの?」とか北海道生まれの私なんか懐疑的になった。実際、私にとってはおいしくなくなかったのだ。特に遠くに住むものは、子供の頃から食べなれている味を追求したくなるのだ。
しかし、この「白いにごった汁のお雑煮」を嬉しさあまり、涙がでるほど誇りを持って食べていた女性の満足げな顔を見ると、「そうか、彼女は生まれた時から毎年大家族でこんなもの食べてきたのか」と思ったものだ。その情景は想像できる。それが想像できると、「ヘー、いつもおばあちゃんが作ってくれたの?」とか聞きながら、人間的には共通した子供時代を思い浮かべながら、他の地方出身の者も「よく味わってみようか」と丁寧に食べる気持ちになったものだ。
同じ日本でも「お味噌」「塩味」「おしょうゆ」の使い方がこんなに違う。そんな話題になり理解しようと話し合った。
「お雑煮」そのものよりも、それぞれの家族や地方の違いのほうが興味がでてくる。
つまり、食べ親しんだお雑煮の味の違いは生まれついた「肌の色」だったり、「親から生まれ貰ったもの」と解釈も出来、本人だって自分の力で変えられるものではない。だから、認め合わなければ話が進まない。
お正月に、何を書いたら良いかいろいろ考えたが、2日前にフラッと出かけたライン川の「Laufenburg」ラウヘンブルグと言う小さな村の写真をのせることにする。(コブレンツとシュタインザッキンゲンの間)
前に取り替えたユーロ紙幣が余っていたし、チューリッヒから一時間もかからないこの村をまだ知らなかったので行ってみた。ドイツとスイスはライン川にかかった30mぐらいの石の橋ひとつでつながり、実際にはひとつの村のようで、毎日スイスに入り勤務している人がたくさんいる。その反対もある。
小さな税関ポストがあるが、自由に行き来できる。どっち道ドイツもスイスも日本の「お雑煮」の違いがあるぐらいの親戚みたいなものだとも言える。同じようなケーキでもちょっと名前が違うだけだったりする。コーヒーなんかお茶碗の違いしかなかった。
しかし、たった30mの距離だが、大きな「違和感」がある物だってある。川のこっちはこうで、川の向こうはこうなのだと「違い」を「バカみたい」として考えると、切りがなく「バカみたい」ことばかりだ。しかしこれを「なるほど」と考えれば切りがなく「なるほどねえ。頭がいい」となるのだ。そして、笑って認容出来るようになる。又それが楽しいのだ。
日本は島国だから、こんなに簡単な石橋で他国には行けない。しかし、距離は今日問題にならない。このような隣国への「石の橋」は想像してみればどこでも架けられる。島国だからなお更想像力が求められる。これがなければ、島国そのものになってしまう。
すくなくとも、日本人、中国人、韓国人などは、自分たち自身だって、見た目にはよく区別が出来ないほど似ているのだ。欧州人から見たらなお更だ。共通点を探せば切りがない。
「違い」は「面白い」事と捉えれば、「寛容」になれるし、「似たところの発見」になる。そして、おたがいに「創造し発展」していける第一歩になれるのだと思う。
今年もよろしくお願いします。
橋の上から観たドイツ側の村。
橋の上から観たスイス側。
fm
皆さま、楽しい年越しをして今頃は家族で、お雑煮も食べ終わった頃でしょうか。
数年前、ある日本人6,7人が集まって、それぞれの郷土自慢の「お雑煮」を作る新年会に招待されたことがある。
北海道から九州それぞれまったく違うものだった。
「おしょうゆの色がまったくない、白い汁なんか、これほんとに「お雑煮」なの?」とか北海道生まれの私なんか懐疑的になった。実際、私にとってはおいしくなくなかったのだ。特に遠くに住むものは、子供の頃から食べなれている味を追求したくなるのだ。
しかし、この「白いにごった汁のお雑煮」を嬉しさあまり、涙がでるほど誇りを持って食べていた女性の満足げな顔を見ると、「そうか、彼女は生まれた時から毎年大家族でこんなもの食べてきたのか」と思ったものだ。その情景は想像できる。それが想像できると、「ヘー、いつもおばあちゃんが作ってくれたの?」とか聞きながら、人間的には共通した子供時代を思い浮かべながら、他の地方出身の者も「よく味わってみようか」と丁寧に食べる気持ちになったものだ。
同じ日本でも「お味噌」「塩味」「おしょうゆ」の使い方がこんなに違う。そんな話題になり理解しようと話し合った。
「お雑煮」そのものよりも、それぞれの家族や地方の違いのほうが興味がでてくる。
つまり、食べ親しんだお雑煮の味の違いは生まれついた「肌の色」だったり、「親から生まれ貰ったもの」と解釈も出来、本人だって自分の力で変えられるものではない。だから、認め合わなければ話が進まない。
お正月に、何を書いたら良いかいろいろ考えたが、2日前にフラッと出かけたライン川の「Laufenburg」ラウヘンブルグと言う小さな村の写真をのせることにする。(コブレンツとシュタインザッキンゲンの間)
前に取り替えたユーロ紙幣が余っていたし、チューリッヒから一時間もかからないこの村をまだ知らなかったので行ってみた。ドイツとスイスはライン川にかかった30mぐらいの石の橋ひとつでつながり、実際にはひとつの村のようで、毎日スイスに入り勤務している人がたくさんいる。その反対もある。
小さな税関ポストがあるが、自由に行き来できる。どっち道ドイツもスイスも日本の「お雑煮」の違いがあるぐらいの親戚みたいなものだとも言える。同じようなケーキでもちょっと名前が違うだけだったりする。コーヒーなんかお茶碗の違いしかなかった。
しかし、たった30mの距離だが、大きな「違和感」がある物だってある。川のこっちはこうで、川の向こうはこうなのだと「違い」を「バカみたい」として考えると、切りがなく「バカみたい」ことばかりだ。しかしこれを「なるほど」と考えれば切りがなく「なるほどねえ。頭がいい」となるのだ。そして、笑って認容出来るようになる。又それが楽しいのだ。
日本は島国だから、こんなに簡単な石橋で他国には行けない。しかし、距離は今日問題にならない。このような隣国への「石の橋」は想像してみればどこでも架けられる。島国だからなお更想像力が求められる。これがなければ、島国そのものになってしまう。
すくなくとも、日本人、中国人、韓国人などは、自分たち自身だって、見た目にはよく区別が出来ないほど似ているのだ。欧州人から見たらなお更だ。共通点を探せば切りがない。
「違い」は「面白い」事と捉えれば、「寛容」になれるし、「似たところの発見」になる。そして、おたがいに「創造し発展」していける第一歩になれるのだと思う。
今年もよろしくお願いします。
橋の上から観たドイツ側の村。
橋の上から観たスイス側。
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by swissnews
| 2014-01-01 19:15
| 生活・文化・伝統・笑い話
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スイスのメディアで見聞きした "JAPAN" をお伝えします
by スイスで聞く「日本」
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